ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

いるだけで 可愛かったは もう昔

子供の学校の発表会があった。

今期の学習発表、歌、そしてダンスという内容だった。学習発表はクラス全員一人一人に役割を与えられていた。2年生にもなると、みんな自分のセリフをしっかり暗唱できていた。去年は自分のセリフをまともに言えない子供はすくなくなかったように思う。発表する姿は堂々として成長を感じる。しかし、一方で、歌とダンスはあまりにお粗末な代物であった。ぱっとしない曲の選択が悪いんちゃうかと思うが、それよりなにより練習不足だろう。たいしたダンスの振り付けではないのに、まったく統一感がない。歌は輪唱だったが、そのようには聞こえなかった。どうして学校はもっと完成度を求めないのか不思議である。こんなものを保護者に見せて恥ずかしくないのかと思うが、保護者は皆大喜びで、嬉しそうに賞賛の声をあげ、ビデオや写真を撮るのに忙しい。あんな発表会は見る価値がないと、欠席した夫に見せるために、最初はビデオを撮っていたのだけど、お粗末なダンスは見るに忍びなく途中で撮影をやめた。昔はみんなまだ体に大きな制服を着て並んで立っているだけで、可愛かった。親たちはキャアキャアいいながら大喜びだった。その子供たちはぐんと背が伸び歯抜けになった口をあけて歌っている。2年前とは違うのである。子供達の成長にあわせてもう少し発表内容も成長するべきと思わずにはいられない。

親たちと知り合う努力もうやめた

子供の学校の発表会だった。

給食を親も一緒に食べて、その後子供たちの発表を見学するという内容。思った以上に保護者の参加率は高く、席が足りないかというほどだった。しかし、私は隣に座った1組の親と軽い会話を交わしただけで、我が子のの友だちの母親たちとは挨拶すらろくに交わさなかった。以前ならそれを気にしていたのだが、なんとも思っていない自分がいることに少し驚いた。

 

今までの幼稚園、前の学校とフレンドリーな親たちが多かった。だから、この学校に移ってきて、親同士の関わりがあまりに少ないことに少し驚いた。忙しい親も多く、毎日の送迎時に顔を合わす機会がなかったりする。だから、学校行事はそういう親たちと顔を合わせる貴重な機会で、少しでも近づけたらと思っていた。でもいつも空回り。誕生日パーティーを開いたら、少しは変わるかと思ったけど、なにひとつ変わらなかった。私のような言葉ままならない、気の利いたことを言えない外国人と関わりたくないのだろうと思う。親同士言葉を交わす機会がないたびに、私の社交性のなさを嘆き、それが我が子の社交にも影を落とすことを申し訳なく思っていた。でも、クラス替えもなく3年目を迎え、今は開き直っている。

我が子が一番仲良しの友達の親は他の親とのソーシャルにだれより熱心なのだが、彼女の視界に私が入ることはほぼない。それがいつも少なからずショックだった。今日もあえて私の近くの席を避けたように思う。いつもなら、また落ち込むところなのだけど、今日は驚くほど気にならなかった。そういう人なのだなと思ったら、気にならなくなったのだ。そして自分の子供との時間に集中した。発表会のとき私の隣に座ったのは、子供の誕生日パーティーに招待したとき返事すらよこさなかった母親だった。以前の私なら、それでも挨拶の声をかけたと思う。でも、今はそんな非礼をする親とは知り合いたくもない。以前の私なら、子供の友人の親全員に挨拶するまで、場を去ろうとしなかった。でも、相手はいつだってそんな風に思っていない。挨拶するのは、目の前にいたときだけ。私はいつも他の親の背中が振り向かないか、追いかけていた。子供の友達の親と少しでも知り合いたかったから。でも、そういうのはもうやめた。子供たちがホールを立ち去るのを見届けて、足早に会場を去った。正直、今まで幼稚園や前の学校のときのように親同士の関係を築けないのは寂しい。でも、そんなことにこだわっていても仕方ない。学校は子供のいるところ。私は関係ない。

立つ人にそっと差し入れ風が吹く

ある日のソープドラマ。生活保護で生活をする大家族の生活を支える長男。気になる彼女をデートに誘いたいのにパブに誘うお金すらない。彼女をデートに誘うお金のため臨時バイトで高額日当を得るものの、そのお金はまたたくまに家族のために消えてゆく。がっくりする彼の前にホームレスが現れて、手元に残ったの最後の5ポンド札をホームレスの差し出す缶にそっと入れる。その光景を彼女が見ていた。「善い行いをしたわね。彼に気を止める人は誰もいなかったわ。」

 

働かないだらしない母親に代わり、一家を支えるべく仕事を必死に探している青年は、掲示板の使用料1ポンド払うのを躊躇するくらいお金に困窮している。その彼がホームレスに5ポンド渡すというのは「ないない」設定で、ドラマの作り話として気にもとめず見ていた。

 

私の近所のスーパーの前には小銭をいれる缶の前にして座っている人たちを常時数人見かける。中には親しげに声をかけてくるひともいるが、相手の目を見て挨拶を返したことはない。それはもう私の中であたりまえの景色となってる。

昨日、ちょうどスーパーから出てきた女性が、この店の前に立ってビッグイシューを売っているムスリムの女性にそっとサンドイッチとボトルの水を渡す姿が目に入った。それはとてもさりげない行為だった。彼女は一声かけて渡すとすぐに立ち去っていった。その瞬間私の中を風が吹気抜けた気がした。サンドイッチをを渡した女性は、この店周辺でみかけるアジア系女性だった。声を交わすことはないが、なんとなく私の中で気になる人だった。裕福そうにはとてもみえない彼女が、その立っている女性のために買い求めたものを渡す行為、それは、自分が善行をしてるというような意識はまるでない、ごくあたりまえのことをしているように私の目に映った。この店はあまり良いエリアといえない場所にあるが、店内におかれたフードバングのカゴはいつもいっぱい。本当に困窮した時に助けを差し出してくれたのは、経済的に成功してるエリート大学時代の友人たちではなく、近所に住む裕福といえない移民の人たちだった、とか、高級車に乗り回す保護者がたくさんいる学校なのに、学校主催のチャリティに協力する人がとても少ない、などといった類の話を思い出した。裕福なエリアの店のフードバンクのカゴがこの店のカゴの量に勝るとも限らないのだろう。

 

私はあまりチャリティに関心が高くない。まわってきたものには参加するけど、自ら積極的に行うことは、ない。知り合いから回ってくるスポンサーシップのチャリティなど、あまり頻繁に回ってきて時に辟易することもしばしば。疑問に思うことも多々有る。でも今回、彼女の行為をまのあたりにして、私のみる風景が少し変わる気がする。

 

 

 

 

 

返答に迷う会話も増えてくる

「Jくんの家にいる女の人いるの知ってる?あの人ステップマザーなんだって。」子供の言葉に一瞬思考がとまった。

Jくんは近所の男の子。知り合って間もないけれど、好きなものが共通していることで意気投合し、あっという間に仲良くなった。あの人、というのは、Jくんが一緒に住んでいる女性のことで、Jくんのお母さんのパートナーである。

 

「え。。。。ステップマザー?Jくんの家族ってことは知ってるよ。あなたがきいたの?」

「うん。あの人だれってきいたら、Jくんがステップマザーみたいなもの、っていったの。おかしいよね、お母さんがいるのにステップマザーがいるって。Jくんのお父さんはどうしたんだろうね?」

 

腑に落ちない風であった。

いま、ゲイカップルについて説明するときなのかな?

 

ゲイカップルは珍しくない。公園を散歩すれば、子連れのゲイカップルらしいひとたちと何組もすれ違う。私の身内にもゲイはいるし、ゲイってなに?と尋ねられれば、子供に説明できるつもりだった。

でも子供の言葉には、とつぜんカウンターパンチを浴びたような、かんじ。

 

Jくんのお母さんとは共通の友人を介して何年も前から知っている。その女性と一緒のことが多いけど、私自身当初、ふたりがカップルだと気づかなかった。Jくんはふたりの養子ではなく、お母さんの実子である。私の中では、同性に恋愛感情を抱くひとたちは物心ついたときから自然とそうなのであって、異性と恋愛し、子供をふたり産んだ後(Jくんには3歳上のお兄さんがいる)、同性へ気持ちが生まれるもしくは気づくことがあるという考えがなかったので、ふたりのことも同居している姉妹か従姉妹だと思っていたのだ。ふたりがカップルだということはその後知ることが、何年も前のこと。今では当たり前すぎることになっていて、子供から聞かれるということを思いもつかなかったからだ。

 

ステップマザーは、我が子にとってはまだあまり馴染みのない言葉である。実は、ステップマザーとは何か。と昨夜聞かれたばかりだったのだ。そのときの会話からすると、Jくんの家の女性がステップマザーであるという説明ができないのである。でも、Jくん本人がステップマザーみたいなもの、といっているのだから、それと私が違うことをいうのは不自然だと思った。

 

「あの人はJくんの家族だよ。Jくんのところはお父さんがいないけど、お母さんが二人いるんだよ。いろんな家族があるんだよ。」と返事して、ゲイについては今回は触れないことにした。これで良かったのかわからない。でもJくん自身が自分の言葉で説明したことを大切にしたいと思った。Jくんと友達関係が続けば、我が子もJくんの家族の在り方に気づくだろう。いままではなんでも親子一緒に見聞き体験していて、子供の小さな世界は私が知っている世界だった。でも、いま子供は自分の社会を、私の知らない世界をを少しずつすすんでいってるのだなあ。ちょっとしんみりとした夜である。

 

 

The great mouse plot

 

World Book Day 2016: The Great Mouse Plot

World Book Day 2016: The Great Mouse Plot

 
  • Paperback: 64 pages
  • Age Range: 3 - 7 years
  • ⭐️

 少年Dahlがお菓子屋のおばあさんにいたずらする話、実話なのかな。英語学校の教材に使われていたのを思い出した。とても短いし登場するお菓子がピンとこないので私的にはいまいち。どれも美味しそうに思えないので面白さも半減。実際美味しくないし。でもこどもはおもしろいじゃん、という。どこが?とたずねると、お母さんが学校に乗り込んでい学校やめさせちゃうとこだって。いやいや、母はあなたが学校で問題を起こしてもDahl少年の母みたいな行動には絶対出ませんよ、ごめんねそこまで味方になれないわ(汗)お菓子屋がこどもの世界の中心なのは国が違えど、おなじ。小学2、3年生のころ、200円をにぎりしめて駄菓子屋にいくのはなによりもの楽しみだったのを懐かしく思い出す。100円で10−30円のお菓子を選ぶあのワクワクするきもち。子供に体験させてあげたいなあ。

 

 

びりっかすの神様

 

びりっかすの神さま (偕成社文庫)

びりっかすの神さま (偕成社文庫)

 

 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

学校が休みなので、久々に日本語の児童書を一緒に読んでいます。これは面白い!さすがお薦め図書。1日1章ずつ、と思っていたのに、子供も私も続きが気になりあっという間に読んでしまった。私の中の大切な1冊に加わりました。読んだ後、親子でいろいろ話したくなる本。うちの子はとにかく勝つのが好きで1番にこだわる。だから、びりっかすさんの存在は、かなりの衝撃。びりっかすさん見れるなら、びりをとってもいいんだって。

でも、うちの7歳児は単純に楽しんだだけで、なんで主人公はやっぱりびりっかすが神様だったとさいごに思ったのかな、と聞くと、単に突然現れて、消えるから。くらいに思ってるらしいがわかり、ちょっとショック笑 最後に、学級会で新しい席順についての話し合いがあったの、どういう風に変わると思う?と聞いても、成績の悪い順に前から座ると思う。という答え。ふ、ふーん、そうかあ。。。もう少し時間をおいて、今度は自分で読み返してほしい。そのときに、感じ方がどう変わるのか、楽しみ。

Stuck

 

Stuck

Stuck

 
  • Paperback: 32 pages
  • Age Range: 3 - 5 years
  • ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

木にひっかかってしまった凧をとろうとしていろんなものを投げ始めるが、次々と木に引っかかってしまう。どうやって凧を取り戻すのか。。という大人気の絵本作家Oliver Jeffers の絵本。森の中のリーディングクラブに参加してるのですが、その第一回目に、樹齢100年以上の大きな古木の下でスタッフが読んでくれたのがこの本でした。幼児向けで語数が少ないけれど、想像力が掻き立てられて、イラストやクラフトの題材に使うのにも最適。我が子はなんども読んでいるので次の展開を知っているんだけど、今でも大好き。