ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

立つ人にそっと差し入れ風が吹く

ある日のソープドラマ。生活保護で生活をする大家族の生活を支える長男。気になる彼女をデートに誘いたいのにパブに誘うお金すらない。彼女をデートに誘うお金のため臨時バイトで高額日当を得るものの、そのお金はまたたくまに家族のために消えてゆく。がっくりする彼の前にホームレスが現れて、手元に残ったの最後の5ポンド札をホームレスの差し出す缶にそっと入れる。その光景を彼女が見ていた。「善い行いをしたわね。彼に気を止める人は誰もいなかったわ。」

 

働かないだらしない母親に代わり、一家を支えるべく仕事を必死に探している青年は、掲示板の使用料1ポンド払うのを躊躇するくらいお金に困窮している。その彼がホームレスに5ポンド渡すというのは「ないない」設定で、ドラマの作り話として気にもとめず見ていた。

 

私の近所のスーパーの前には小銭をいれる缶の前にして座っている人たちを常時数人見かける。中には親しげに声をかけてくるひともいるが、相手の目を見て挨拶を返したことはない。それはもう私の中であたりまえの景色となってる。

昨日、ちょうどスーパーから出てきた女性が、この店の前に立ってビッグイシューを売っているムスリムの女性にそっとサンドイッチとボトルの水を渡す姿が目に入った。それはとてもさりげない行為だった。彼女は一声かけて渡すとすぐに立ち去っていった。その瞬間私の中を風が吹気抜けた気がした。サンドイッチをを渡した女性は、この店周辺でみかけるアジア系女性だった。声を交わすことはないが、なんとなく私の中で気になる人だった。裕福そうにはとてもみえない彼女が、その立っている女性のために買い求めたものを渡す行為、それは、自分が善行をしてるというような意識はまるでない、ごくあたりまえのことをしているように私の目に映った。この店はあまり良いエリアといえない場所にあるが、店内におかれたフードバングのカゴはいつもいっぱい。本当に困窮した時に助けを差し出してくれたのは、経済的に成功してるエリート大学時代の友人たちではなく、近所に住む裕福といえない移民の人たちだった、とか、高級車に乗り回す保護者がたくさんいる学校なのに、学校主催のチャリティに協力する人がとても少ない、などといった類の話を思い出した。裕福なエリアの店のフードバンクのカゴがこの店のカゴの量に勝るとも限らないのだろう。

 

私はあまりチャリティに関心が高くない。まわってきたものには参加するけど、自ら積極的に行うことは、ない。知り合いから回ってくるスポンサーシップのチャリティなど、あまり頻繁に回ってきて時に辟易することもしばしば。疑問に思うことも多々有る。でも今回、彼女の行為をまのあたりにして、私のみる風景が少し変わる気がする。