ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

親たちと知り合う努力もうやめた

子供の学校の発表会だった。

給食を親も一緒に食べて、その後子供たちの発表を見学するという内容。思った以上に保護者の参加率は高く、席が足りないかというほどだった。しかし、私は隣に座った1組の親と軽い会話を交わしただけで、我が子のの友だちの母親たちとは挨拶すらろくに交わさなかった。以前ならそれを気にしていたのだが、なんとも思っていない自分がいることに少し驚いた。

 

今までの幼稚園、前の学校とフレンドリーな親たちが多かった。だから、この学校に移ってきて、親同士の関わりがあまりに少ないことに少し驚いた。忙しい親も多く、毎日の送迎時に顔を合わす機会がなかったりする。だから、学校行事はそういう親たちと顔を合わせる貴重な機会で、少しでも近づけたらと思っていた。でもいつも空回り。誕生日パーティーを開いたら、少しは変わるかと思ったけど、なにひとつ変わらなかった。私のような言葉ままならない、気の利いたことを言えない外国人と関わりたくないのだろうと思う。親同士言葉を交わす機会がないたびに、私の社交性のなさを嘆き、それが我が子の社交にも影を落とすことを申し訳なく思っていた。でも、クラス替えもなく3年目を迎え、今は開き直っている。

我が子が一番仲良しの友達の親は他の親とのソーシャルにだれより熱心なのだが、彼女の視界に私が入ることはほぼない。それがいつも少なからずショックだった。今日もあえて私の近くの席を避けたように思う。いつもなら、また落ち込むところなのだけど、今日は驚くほど気にならなかった。そういう人なのだなと思ったら、気にならなくなったのだ。そして自分の子供との時間に集中した。発表会のとき私の隣に座ったのは、子供の誕生日パーティーに招待したとき返事すらよこさなかった母親だった。以前の私なら、それでも挨拶の声をかけたと思う。でも、今はそんな非礼をする親とは知り合いたくもない。以前の私なら、子供の友人の親全員に挨拶するまで、場を去ろうとしなかった。でも、相手はいつだってそんな風に思っていない。挨拶するのは、目の前にいたときだけ。私はいつも他の親の背中が振り向かないか、追いかけていた。子供の友達の親と少しでも知り合いたかったから。でも、そういうのはもうやめた。子供たちがホールを立ち去るのを見届けて、足早に会場を去った。正直、今まで幼稚園や前の学校のときのように親同士の関係を築けないのは寂しい。でも、そんなことにこだわっていても仕方ない。学校は子供のいるところ。私は関係ない。