ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

独学で着物着れたりするのかな

2018年すでに1月も半ば。

12月半ばから風邪で体調不良が続き、年末はインフルエンザで倒れ、トイレ掃除一つせず新年を迎えた。そのためなんだかすでに2018年がもう中折れみたいな気分になっているダメな私。

 

今更だけど2018年は

 

痩せる。

 

ことを目標に掲げ、病み上がりから私のペースではあるが、生活リズムを作ろうとしている。

 

そして、もう一つやってみたいこと

 

着物を着たい。

 

年末、日本人の友達の誕生日パーティーに出かけた。

その時、着物着てこれる人は是非!とのことだった。

結局、着物女子はバースデーガールだけだった。

帯は簡単に、浴衣によくある結び方だった。

でも、気軽に着てるのをみていいなと思った。

 

実は私、着物は5、6枚ほど持参している。

うちの母親は、結婚にタンスいっぱいの着物を持たさないと恥という田舎の出身である。うちは経済的にゆとりのない家庭だったけど、母親は自分の着物を仕立て直したりして、少しずつ用意してくれていたのだ。

 

でも、着付けは習わせてくれなかった。

習いに行こうとした時も、あまり肯定的ではなかった。

着物など、自分で着れるようになるもの、という考えの人だった。

母方の祖母は茶道の先生で、それなりに着物を持っていた。だから、着物が近かったのかなと思う。

社会人になって、先輩が着付けを習っているという話を聞き、なんとなく興味を持って会社帰りに教室に通うことにした。その教室は、全国展開の着物教室で、レッスン料はとても安かったが、独特の道具を使う教室であった。だから、1年通っても全く着れるようにならなかった。次のステップに上がっても、道具を使っての着付けである。面白くもないし、やめることにした。

 

のちに、友人が地元の小さな着付け教室に3、4回通ったあと、趣味で着物を着るようになったのを目の当たりにして、とても悲しい気持ちになったものだ。

もちろん、着物を着たいという気持ちがさほど強くなかった私と、着物を楽しみたいと思う友達の熱意の違いだけど、それでも、あんな教室に行かねばよかった、もっと丁寧な個人教室に出会ってたら今頃着れるようになってたかもしれない、、と思ってしまう。

 

母はそれなりに着物を用意してくれたけど、着る機会は与えてくれなかった。

結婚が決まるまで、そんなに着物があるとも思わなかった。

教室に通ってる時すら、母は教えてくれなかった。知っていたら、着たかったのにと思う素敵な着物が何枚もあった。今の私には、ちょっと若若すぎて着れないような柄だ。

大学卒業と同時に結婚した母には、35すぎて娘が未婚とは想定外だったのだろう。

 

その着物の存在を知っていたとしても、母にとってそれらはあくまで「結婚支度」にとっておくものだったので、着せてくれたかは疑問である。着物はクリーニング代が高い、とか美容院代が、とかお金がかかる、と言ったようなネガティブなことを口にしてることしか聞いたことがない。

着物を次々作る祖母のことも苦々しく言っていた。

それなのに、私の着ない着物を「結婚支度」で用意せねば、と未だ一度も袖を通されない着物たちになけなしのお金を工面していた母を思うととても悲しい気持ちになる。

 

私の実家にとっては随分まとまったお金なのだ。

他にもっと生きる使い道も間違いなくあった。

今更そんなことを言っても仕方ない。

わざわざ海まで越えて送った着物たちだ。このまま衣装箱にしまいこんでおくのは忍びない。

人一倍不器用な私。その着付け教室だって、毎度脇汗をかいていた。

今は習いたくても日本にいないので、教室に通うことはできない。

なので、無理は承知で、自分で着る練習を始めてみようと思う。

今は日本で、外国人だって着物で町歩きを楽しむ時代だ。

ごちゃごちゃ言わずに、とりあえず着てみたらいいのかなと思う。

道具は母が一通り揃えてもたせてくれている。

母も、しかし、とても中途半端やね。。。。着れない娘にね。。。汗

 

とりあえず、浴衣から練習。

そして、小紋をお太鼓で年内に着れるようにするのを目標。

しかし、衣装箱を実際開けるまでに、9年かかったよ^^;