ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

3度目の夏休み明け期待せず

夏休みが終わり、新学期が始まった。

 

3−6年生は別校舎で学ぶため環境は今までガラリと変わるが、クラス替えはない。また同じ友達、同じ保護者とこれから4年間過ごすことになる。

今年は夏中ずっと帰省していたので、同級生とは誰とも会わずだった。ちょっと正しくないか。同級生と会わないことを気にせずに、忘れていることができた。

校庭に娘の友達の保護者の姿を認めると、夏休み前のことを思い出してキュッとなった。最後の日、卒業ピクニックに誘ってもらえなかった。娘の友達の親たちとあまり親しくなれていない自覚はあったけど、グループ内の母親の一人が、私たち親子が誘われていないことを知った時のバツの悪そうな顔を忘れられない。娘が親友と思っている子の母親が、誰よりも私をみようとしない。その母親が企画したピクニックだった。この時は娘が不憫で帰り道涙を堪えきれなかった。夫は親がお膳立てする友達関係なんてなくていい、友達関係を築いていくのはこれから、変わっていくから、と言ったけど、ずっと気に病んで来た3年間だった。私なりに距離を縮めようと思ってきた。いつか透明人間扱いされなくなるようにと。でもなかなか思うようにいかなくて、プレイデートに誘われないのを自分のせいだと子に負目を感じていた。でも終業式の日、卒業ピクニックに誘われなかった時、境に、全てがもうどうでもよくなった。最後の日に挨拶すらない。そういう保護者と関わろうと無駄な努力を今後一切しない。誕生日パーティーもしない。プレイデートももういい。話しかける努力もやめる。どう思われてもいい。どうせどうとも思われてないんだから。夏休みどうでしたか、とお約束挨拶はするけど、相手から聞かれることはなかった。でももう気にしない。社交辞令ですら私と話したくない、そういう人たちなんだと今は思う。娘の友達の母親たちが集まって話していると、以前は最後まで輪にいるようにしてた。そうしないと忘れ去られると思ってたから。でもそんなの関係なかった。だから今は、あえて近づこうとするのはやめる。彼女たちの輪が崩れるよりもいち早く校庭を立ち去る。3度目新学年、夫の言う通り私が悩み続けていたことはつまらないことに思えるようになった。もう努力しません。いちいち傷つきません。でも、再会を喜び合う友人たちの輪から離れて立ち尽くす不器用な娘を見て、母子ともにうまくやれないことに鬱々とした気分になった。親と関係なくこの先娘が良い友達関係を築けていけることをそっと願う新学年。