ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

日本語のサービスよりもまず仕事

子供の学校の学習テーマがエジプトなので、予習がてらブリティッシュミュージアムに行ってきました。子供がお腹すいたというので、入館前に近くにあるパブでなにか食べさせることに。お店に入るなり、どこから来ましたか、と聞かれた。なにかいなとおもっていたら、アジア系のウェイトレスが「こんにちはー。」と日本語のメニューをテーブルに持ってきてくれた。さすが世界的観光地、おもてなしサービスだったのね。

でも。日本語のメニュー、字が小さくて、老眼が始まったっぽい私の目にはよく見えないわ(涙)そして、ここはパブ。名前の知らないお料理が並ぶフレンチレストランではなく、イギリスでおなじみのごくあたりまえのメニューが並ぶ、ただのパブなのである。それをカタカナに直したのを探すのは案外面倒いものなのだ、とこのとき気づいた。英語は日本語の下に書かれてた。

日本人といったら日本人のウェイトレスがでてきたのかと思ったが、もちろんそうではなく、片言の日本語は披露できても日本語ができるわけではない。その日本語のメニューの横に番号がふられていて、その番号により言葉がわからなくてもオーダーをとれるというわけ。だから、私たちが英語でオーダーしても、何番?と番号を逐一確認をしているようだった。

 

そうしてやってきた注文は間違っていた。エビっていったよね?っていうと、え、何番だっけ。。。と慌てて番号を確認するウェイトレス。書き写した番号が間違ってたのか、番号はあってたけど、まちがったのか、わたしたちにはわからなかった。彼女はわたしたちがふつうのサイズでといったから間違った(いや、聞かれたのだよあなたに)、わたしたちの注文料理には普通サイズしかもともとないから、大きいサイズのあるその間違ったメニューと思った、と言い訳をしていたが、番号ばかり追わずに、英語のメニューで、普通にオーダーとっていたら間違いようがない間違いだったとおもう。子供に頼んだオレンジジュースも、同じ飲料会社のブランドメーカーの違う味であった。

謝って作り直す、といってくれたけど、時間もないことだし、間違いならもうそれでいいです、と間違ったメニューをいただいた。今度から、日本語のメニューをだしてもらっても英語メニューをお願いしようと思った次第。(英語圏限定+日本料理ではもちろん日本語メニューでしょう)付加サービスもいいけど、オーダーをきっちりとるという本来のお仕事にもっと注意を払っていただきたい。

 

ウェイトレスはその後もにこやかに自分の知ってる日本語、こんにちは、ありがとう、など言って子供に愛想をふってくれた。英語の質問にはぶっきらぼうながらもこたえていたが、片言日本語にはリアクションゼロ、ガン無視(汗)

これうちの子の悪い癖でよくあること。感じ悪いでしょ!といつも注意するのだけど、うちの子は日本以外の国で、日本人でない人に日本語で話しかけられるシチュエーションを想像することができないため、話しかけられても、片言だと、「片言の日本語」ではなく「よくわからない英語」だとまず思うらしい。何言ってるかわからないから答えようがない、んだと。それでも、笑顔くらいみせてくれ(汗)以前、親子留学中の同い年の男の子とプレイデートをしたことがあった。その家庭は英語教育に熱心で、家庭でも英語のみを奨励しているとのことで、男の子は英語で娘に話しかけてくる。それを娘は本当に困った顔をして「あの子なにいってるか全然わからない。なんで日本語話さないのか」と訴えてきたことがあった。たしかに、幼稚園で覚えたことばをただ口でならべてるだけのようであった。彼は英語環境を楽しんでいたのだと思う。一方娘は昔みたいにただおもちゃで遊ぶだけでなくコミュニケーションのうえに小友立ちとの遊びが成り立つようになっていたので、意味不明なことばを一方的に羅列して、娘のよびかけには答えられないその男のは「変な子」に映ったらしい。当時は5歳の子供の正直な感想に困ってしまったのだが、我が子の想像力の無さに戸惑ってしまう。

 

娘よ、君の母こそ、そのわからない英語を話すひと、とぞんざいな扱いをたくさん受けてきているのだよ。苦い思いをたくさんしているのだよ。そんな母のことばに忍耐強く耳を傾けてくれる親切な人たちによってすくわれているのだよ。わからない、ではなく、わかろうとすること。きこうとすること。その先に見えるものがあるのだよ。分かり合おうとする気持ちの先にうまれるものがあるんだよ。ことばは、見え方は、一つである必要はないのだよ。ひとまず、笑顔からお願いします。