ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

母業に要るスキルはベイキング

ベイクセール。

PTA主催のチャリティイベントの定番である。子供の学校では年に3回催される。

保護者から集めたケーキを放課後に売って、売上金は学校の備品購入などにあてられる。本当にみんなケーキが好きやなと思う。私も時折ケーキが食べたい時はあるし、美味しいと思うが、でも一口で十分、バターやクリームなどあまりたくさんたべれない。だから、素人が作ったケーキをお金払って食べたくないのであるが、ベイクセールは毎度盛況でそれなりに売れるようである。

 

ケーキを作るのはもっと好きではない。

粉やクリームでキッチンが汚れるし、洗い物も膨大にでる。

それにバターの甘い匂いが苦手だ。そしてうちの家族はだれも私がケーキを焼いても喜ばない。子供はみんなケーキが好きと思うと間違いである。うちの子はケーキが嫌いなのだ。誰にも喜ばれないのに、面倒なケーキ作りをする理由が我が家にはないのである。でも、このチャリティの時だけは、学校側はホームメイドが望ましいとわざわざよびかけるので、カップケーキを作るようにしている。市販のケーキをもってくる人も多いが、たしかに売り場に既製のお菓子が積み上げられる様はちょっと味気ない。私はおかし作りをしないし、不器用なので、人に売るものをつくるなんて。。。と思ったり、お腹痛くなったなどクレームがきたらどうしよう、と躊躇する気持ちがあったし、材料揃えて持参するケーキ用の箱まで買って、時間と労力を費やしたケーキを10円20円で売られたら、材料費をまんま募金するほうがよほどいいし、楽!と思う。でも、今は今は学校のイベントと割り切って、楽しむようにしている。ふだん、学校のボランティア協力してないので、せめてこれくらい、と思う気持ちもある。この国では料理はまともにしなくてもケーキは気軽に焼く人が結構いる。私もケーキを焼くのに少し慣れ親しむ機会ととらえるようにした。

ここではケーキは、味より見た目。プレーンなケーキより体に悪そうな毒々しい色のケーキが好まれる傾向がある。製菓とはデリケートなものと思っていたけど、ここでは上にどれだけ盛るか?にみんな必死で、粘土細工みたいなかんじである。食べたくないけど、一度やってみたいと思っていた私。年に数度しかないけど、それでも何度かやって少し慣れてきた。でもやっぱり好きではないな。今回はこどもと一緒にポケモンボールを飾ったケーキをつくった。こどもが一緒に作るのを喜んでくれて、楽しめた。次はクリスマス。どんなデザインにしようかな。

 

 

ちぐはぐの靴下はいて学ぶこと

今週は、Odd socks dayがあってちぐはぐの靴下を履いて登校した。

Odd socks dayとはいじめ撲滅週間のチャリティイベントである。左右違う靴下を履いて行って1ポンド募金する。みんな誰もがひとりひとり違う特別な存在である、というメッセージがある。この手のチャリティは、やれヘッドバンドやらドレスアップやらその度指定される事が多く、そのために不要なものを購入することになりお金がかかるのだが、今回は靴下だけだからとても助かる。

 

本の学校と比べてあれこれ不満に思うことは多いだが、チャリティ精神を育てる土壌が整っていることは素晴らしいなと思う。我々がチャリティ精神希薄なため、学校で学ぶ機会を与えられることはありがたい。でもあまりの頻度の多さにはちょっと閉口する。動物愛護、地元のこども病院、小児がん、家庭内虐待されているこどもたち、道路交通、難民などなど枚挙にいとまがない。日本では募金への抵抗感はかなり強いものがあるなと思う。でもうさんくさいのが多いのもまた事実。私の周りではチャリティと聞くと、無条件に反応する人がとても多く、危うさも感じないわけではない。チャリティ団体が正当にその基金を運営しているか等には、もう少し注視したほうがよいだろう、実際にニュースになっていたのも記憶に新しい。

 

先日、小学校の教科書に載っている「だってだってのおばあさん」(さのようこ作)という本をこどもと読んだ。でも、こどもは読み始めてすぐに、この本は良くない、好きじゃない。という。できないという決めつけをしない、気持ちの持ちよう、というメッセージがあり、高いレビューがならぶ絵本であるが、うちの子には、そんなメッセージは当たり前すぎて、不愉快に映った様子。「こんな勝手におばあさんだからできないと決めつけてるはおかしい」を繰り返し、5歳の気持ちでやったらできちゃった、というオチまで行く前に読むのを放り投げてしまった。みんな違う。多様性の精神はすでに着々と我が子の髄に定着して行っているらしい。これはきっと学校教育の(数少ない)成果なのだろうなあ。

 

だってだってのおばあさん

だってだってのおばあさん

 

 

 

Ratburger

 

Ratburger

Ratburger

 
  • Paperback: 320 pages
  • Age Range: 9 - 12 years
  • ⭐️⭐️⭐️⭐️

 

娘がDavid Walliamsを読みたがるようになりました。

学校のreading clubで一緒の子たちが面白いと言ってるのを聞いて、興味をもったみたい。 David Walliamsの話が面白くないわけない。でも、貧困や不和家庭、いじめ、だらしない親や、傲慢な教師などなど、とても現実的な世界が描かれているので、個人的にはもう少しそういう世界と無縁のファンタジーやマジカルなお話を楽しんでほしいとおもうのだけど、そういうことを知り始めるのを親が止めれる年齢ではなくなってきているということなのかな。

 

だらしない継母、失業し生活保護のお金で酒浸りの父親、毎朝学校のいじめっこにつばを吐きかけられる。辛いことだらけの日々を送るZoe。唯一の癒しだった父親に買ってもらった最愛のペットのハムスターも死んでしまう。そんなZoeの悲しみを埋めてくれたのは、家に入り込んだネズミ。Zoeはこのネズミを飼うことにするが、ネズミのペットなど誰にも言えない秘密。そんなZoeのネズミに怪しげなハンバーガー売りの男が恐ろしい企みを抱いて近づいてく。。。Zoeの生活環境があまりにもハードな設定で、うちの子にはちょっとハードすぎるのではと思ったけれど、面白かったらしく2日で読了。

読み終わった子供が、意地悪な継母は最後に死んじゃうんだよ、というので、ええ?と聞き直すと、ハンバーガーミンチの機械に落ちて、ハンバンガーになって、ねずみたちに食べられてしまう。。。と聞いて、恐ろしくなってしまった。ミンチになる様が細かに描かれてないのが幸いかな。機械に入ったら、ハンバーガーに変身するみたいな印象の挿絵がはいっていた。勧善懲悪とはいえ、ミンチにしてしまうのは、ホラーすぎる。そしてやっぱりネズミ描写が私には、過去に我が家で起こったネズミ騒動を思い出させて身震いする。うちの子も動物ファンではないため、ネズミにキスするZoeは嫌だったらしい。この本の登場人物で一番好きなのは、 Zoeのお父さんらしい。え、パブばっかり行って、学校の靴もかってくれないようなだらしないお父さんなのに?と思うけど、仕事がなくなってしまったので、落ち込んでしまったから仕方ないのよ、という子供。そ、そうかあ。唾を吐き掛けるいじめっ子の事も、”理由があった”と許せるうちの子はなかなか寛容なのではなかろうか。 

The giraffe and the pelly and me

 

The Giraffe and the Pelly and Me

The Giraffe and the Pelly and Me

 
  • Paperback: 96 pages
  • Age Range: 5 - 7 years

 ⭐️⭐️⭐️

 

短編。

かつてお菓子屋だったらしい古い木造の変な建物が新しくお菓子屋になレバいいなと夢見るビリー。その建物には窓掃除屋を営むキリン、ペリカン、猿が住んでいた。動物たちと友達になったビリーはイギリス一の大金持ちと出会い、最後にはお菓子屋の夢が叶うというお話。

 

Dahl作品にはお菓子屋さんがよく登場する。彼にとって夢が詰まった場所だったのだろうなあ。ビリーウォンカのチョコレート工場のお菓子も登場する。動物たちのクリーニング屋で働くもの食うべからざる、と身につまされる。うちの汚れ放題の窓はそろそろ一度クリーニングするべきなのだろうか。。。^^;

 

この本の中にpulling my legという表現が出てきた。英語力が子とすっかり逆転してしまった私相手に子供が最近英語のテストを課す^^;それにpulling my leg の意味はなんでしょう?という問題をだされたのはつい先日のこと。文字通り足を引っ張るのではなく、からかう、という意味だ、と教えられた。子供に教えられるようになったんだなあ、としみじみしてしまう。

欲しいのは話し相手って、そうかもな

先日SNSで友人の投稿にふと目がとまった。

今一番欲しいものは何と聞かれたら、話し相手である、と綴られていた。友人のご主人は単身赴任中、家庭での話し相手は小学生の息子、近所に住む義母、そして転職した職場の同僚とごく限られた数名に限定されている、とにかく会話に飢えている、転職したいと心情が吐露されていた。友人とは以前職場で営業職として一緒に働いており、本当に話すことが好きなにぎやかな人で、周りが呆れるほどだった。その彼女が話し相手が欲しいというのはさぞ切実なことなのだと想像がつく。

 

そのときに気づいた。私は友人以上に閉鎖的な生活をしているではないか。

ファミリービジネスの在宅勤務でいつも一緒の夫とこどもしか話す相手がいないことを改めて危機感を抱いた。いざ話したい、と思っても連絡をとれるような友人がひとりもいないのだ。非社交的な私は友人ほど会話に渇望を感じていないが、でもこの状況はあまりにも不健全ではないか。これから先ずっとこの調子で暮らして行くのか。夫は自らそれを望んでいる節があるが、でも私はそれでいいのか。考えると恐ろしくなってきた。とりあえず、舞い込んだパーティーのお誘いを受けることに決めた。よく知らない人たちの集まりは、常に気が進まないので、いつもなら即お断りさせていただくのだが、友人の心のメッセージを見た後、せっかく機会があるなら行くべきだという気がした。この手のパーティーは行っても楽しいわけでもない。昔は新しい、楽しいことがあるかも、と思って軒並み出かけた。でもそんな簡単に楽しいことと出くわさない。新しい人と出会っても、それは新しい友達の出会い発展していくことはそうそうないことを経験してきてきた。所在がなかったり、その場だけの上澄みな会話を繰り返し交わすことに疲れることが多い。それは、私の社交性のせいかもしれないけれど。とにかく回数を重ねて、社交の場になにかを期待するような年ではなくなった。変化を期待してはいけないのだ。でも変化が無くても、いったほうがよい、と私自身の声が聞こえた。私の中の変化を起こすきっかけになるかも、しれない。

そのプール15メートルだったはず

こどものスイミングレッスンのバッジウィークだった。

到達度チェックなわけだが、10週ごとに行われ、その後先生から3ポンド払って証書を買ってくださいという紙切れを渡される。うちの子は2年以上スイミングレッスンを続けているが、この証書を買ったことは一度もない。3ポンドを払いたくないし、なにより10メートル泳げましたという証書をありがたがってどうする、である。我が家では証書の代わりに、クラスが昇級した時は3−5ポンド程度のおもちゃを買うことにしている。証書はせめて25メートル泳げるようになったら買うか考えるわ、とこどもには伝えている。ちなみに、このバッジウィークはすべての習い物につきものである。誰が買うねんな、と思うが、どっこい、褒める・褒められ好きの親とこどもたちから手堅く集金できるシステムとして確立している。こどもが通っていた幼稚園では証書を持っていくとその週のニュースレターに写真掲載されるため、親たちはこぞって証書を買うのである。

 

さて、この日受け取った紙切れを見て、思わず目を見張った。そこには50メートルの証書を買えと書かれていたからだ。当初の目標25メートルを超えて50メートル泳げるようになったのなら、それは素晴らしいことである。でも。。。このレッスン用のプール、とても小さいのである。20メートルかと思いきやなんと15メートルであった。このプールでどうやって50メートルを計測できたのだろうか。2往復して50メートルにカウントしてるのだろうけど。。。ターンを知らんこどもの2往復を50メートルてカウントしていいのだろうか。。。これにはこども自身も驚いていて、その日の日記には、スリップは間違っているのかと思った、本当なら、とてもうれしい。と綴られてた。

こんな証書はやっぱり不要である。

学校の行事から知る歌謡曲

 

学校の発表会で披露したダンス曲はTake That のRelight my fireであった。発表テーマ The great fire of London だったので、「火」をキーワードに選んだのだろう。6歳児のお遊戯ダンスになんでこんな微妙な曲なんだろうか。ダンスしづらそうやと思ったのは私だけなんかな。いつも思うけど、学校では子供にふさわしい曲とかそういう意識はないんやろうなとおもう。音楽に疎い私には、流行った曲を知れる機会になっているけど。

Relight my fire, your love is my only desire
Relight my fire, 'cause I need your love

www.youtube.com

 

これも子供に教えてもらった。Little Mix Black Magic

スクールディスコの定番曲らしい。ディスコにぴったりの曲とおもうけど、恋愛の歌詞を書き写す子供をみると複雑であるが、学校推奨曲?であるため、横槍をいれることもできず見守っております。

www.youtube.com