ぐれーとふる365 

子供の読書成長記録(洋書和書)多読というらしいですが、語数はカウントしてません。

ちぐはぐの靴下はいて学ぶこと

今週は、Odd socks dayがあってちぐはぐの靴下を履いて登校した。

Odd socks dayとはいじめ撲滅週間のチャリティイベントである。左右違う靴下を履いて行って1ポンド募金する。みんな誰もがひとりひとり違う特別な存在である、というメッセージがある。この手のチャリティは、やれヘッドバンドやらドレスアップやらその度指定される事が多く、そのために不要なものを購入することになりお金がかかるのだが、今回は靴下だけだからとても助かる。

 

本の学校と比べてあれこれ不満に思うことは多いだが、チャリティ精神を育てる土壌が整っていることは素晴らしいなと思う。我々がチャリティ精神希薄なため、学校で学ぶ機会を与えられることはありがたい。でもあまりの頻度の多さにはちょっと閉口する。動物愛護、地元のこども病院、小児がん、家庭内虐待されているこどもたち、道路交通、難民などなど枚挙にいとまがない。日本では募金への抵抗感はかなり強いものがあるなと思う。でもうさんくさいのが多いのもまた事実。私の周りではチャリティと聞くと、無条件に反応する人がとても多く、危うさも感じないわけではない。チャリティ団体が正当にその基金を運営しているか等には、もう少し注視したほうがよいだろう、実際にニュースになっていたのも記憶に新しい。

 

先日、小学校の教科書に載っている「だってだってのおばあさん」(さのようこ作)という本をこどもと読んだ。でも、こどもは読み始めてすぐに、この本は良くない、好きじゃない。という。できないという決めつけをしない、気持ちの持ちよう、というメッセージがあり、高いレビューがならぶ絵本であるが、うちの子には、そんなメッセージは当たり前すぎて、不愉快に映った様子。「こんな勝手におばあさんだからできないと決めつけてるはおかしい」を繰り返し、5歳の気持ちでやったらできちゃった、というオチまで行く前に読むのを放り投げてしまった。みんな違う。多様性の精神はすでに着々と我が子の髄に定着して行っているらしい。これはきっと学校教育の(数少ない)成果なのだろうなあ。

 

だってだってのおばあさん

だってだってのおばあさん